先代達の足跡 庚申塔・道祖神(石仏)探訪
庚申の彫り物

寿命を縮めないために? 江戸時代に大流行した民間信仰

 旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変!この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、『枕草子』、『大鏡』などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。

 身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。

庚申の彫り物

その他付属する彫り物

日月 上辺の左右につくものが多い。こちらも、夜を徹して行われた関係で、日や月への率直な信仰が庚申信仰にも含まれたのであろう。
雲瑞が存在するものと無いものがある
庚申の日の翌日は「酉」の日となる。徹夜して翌日を待つ象徴として、酉を鶏で表したものだ。当時の日付変更は翌日の夜明け。日の出前でも鶏鳴を聞けば、すでに翌日という解釈も生まれる。
様々な形態の猿がある 三猿 二猿
拝侍二猿や見ざる、言わざる、聞かざるの3匹など

なぜ猿が刻まれるのか?
(1) 庚申侍は庚申(かのえさる)の日に行われるので猿と結合した。
(2) 猿は山王(北斗七星)天帝の使者とも脇士ともいわれる。
(3) 庚申の夜 三尸(さんし)が昇天して天帝に罪をつげるため三猿をになぞらえ眼や耳を口をふ さいで悪事を報告させない。
猿との関係は、諸説あり
車も無い徒歩であった昔、人との絆は強かったに違いない。
絆は弱くなり痛ましい事件が多い現代・・・
幼少の頃、田舎道で見知らぬ人同士が挨拶を交わしたり少年達は夕暮れまで外で元気に遊ぶ。
今は、児童通学時に防犯ブザーを持ち歩き、外で遊ぶ事を知らずに塾通い・・・・

そんな事を思い、通勤バイクでトコトコと走ってると・・
道傍に先代達のゆっくり時が流れ、今より人の気持がおおらかな時代の足跡がありました。
庚申塔や道祖神




              プロローグより
 

準備中にて暫くお待ち下さい

「庚申」等の文字 「庚申供養塔」 「庚申塔」 「庚申塚」 「庚申」など。
「青面金剛」等の文字
仏・菩薩の名前も刻まれてる場合も
「青面金剛王」 「青面金剛童子」 「大青面金剛」 など。
「猿田彦」の文字 「猿田彦大神」 「猿田彦命」など
猿田彦は天孫 々芸尊が天降られる時、先導したことからやがて導きの神や道祖神として奉られる
種子(しゅじ)の文字 如来や菩薩を梵字で標示したもの。
「キリーク」「ウン」等

文字が刻まれる場合

石造調査データ
準備中暫くお待ち下さい

主尊として文字と像が刻まれる物があります

意外な事から、先代の慎み深い願いや祈りにロマンを感じ道の石塔や石仏に興味を持ち、気を付けて道や周りを見渡すと・・・数多くの先代達の足跡が見つかりました。

江戸時代まで、日本の神道と仏教は融合しあう時代が続いていましたが、慶応4年(=明治元年)に出た神仏分離令で、(「庚申待ち」・「お日待ち」)。仏教・神道・陰陽道・道教などが結びつきあった民間信仰は衰退して行ったと聞いてます。
中には今だにお寺や神社に庚申塚が合祀されたりしてます。しかし最初から合祀された考えと違う説も有り、明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を勧めた。よって後に神社やお寺に合祀された可能性も高い。
さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事等によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。
近年、私が幼少の頃、家の近くに立派な庚申塔群が有り、河川改良に伴い近くの墓地に移転したようです。
風雪と周囲の環境の変化に耐え、かろうじてその形を保ちながらひっそりたたずむ石塔や石仏これらは庶民の残した貴重な文化遺産と言えるでしょう

青面金剛像 一般的に青面金剛像が多い(2・4・6・8手)
その他「如来」「観音」「菩薩」等

庚申塔には、さまざまな主尊が塔面に現われてくる。道教に源を発する庚申信仰は、日本で同化する過程で仏教の各宗派や神道・修験道、あるいは古来から伝えられた民間信仰(たとえば日待信仰や月待信仰)などの影響を受けて変容をとげてきた。特に仏教化が進み、庚申縁起が成立して礼拝本尊が説かれるようになり、供養塔の造立が広く行われると、それぞれの指導者がいろいろな主尊を登場させてくる。
また庚申講を指導する宗教家の宗派によって、例えば神道では猿田彦大神を、日蓮宗では帝釈天を主尊にしている
庚申縁起は、時刻によって異る本尊が礼拝され、そうした事情からみても庚申塔にいろいろな主尊が刻まれている。

















像が刻まれる場合