スズキGT750(1971)

水冷2サイクル3気筒 738cc
出力 67ps/6500rpm
トルク 
7.7kg/5,500rpm
 
高校の友人所有
当時スズキは2ストロークエンジン専門であった

1971年には、ホンダのCB750Fourに対抗するために
スズキGT750を発売このバイクは国産量産車初の水冷2サイクル3気筒でそのパワーユニットから受けるイメージに反しスムーズなエンジン特性と軽快なハンドリングで、「ウォーターバッファロー」(水牛)と呼ばれた。
この2ストローク3気筒のレイアウトは後にGT380やGT550に受け継がれるが、その後オイルショックの影響を受け、2ストロークモデルは1977年頃生産中止となる



ヤマハスポーツRX350(1970) 所有75年
近所の先輩に譲って貰った2気筒2ストロークのバイク
白い煙を猛然と吐き凄い加速が忘れません
譲って貰った時車検が3ヶ月しか無かった為短命に終わってしまった最初の大型バイクでした
R1~R3の血筋を引く
後にRD250/350のシリーズとなる
最高出力は36ps
メーカー発表の最高速度は170km/h


750SS MACHⅣ H2 (1972)

  • 最高出力:74 hp / 6,800 rpm
  • 最大トルク:7.9 kg-m / 6,500 rpm

1969年に発売された 2 ストローク空冷 3 気筒 500 cc のマッハIII (H1) はその強烈な加速性から欧米で好評を博したが、やや遅れてホンダCB750発売されると、性能的には大差なく、価格はおよそ 1.5 倍であるにもかかわらず次第に人気を奪われるようになった。これ以前の時点で既にカワサキは 750 cc4サイクル4気筒車の開発に着手していたが、このホンダ CB750 の出現により、全ての面で CB を上回る車種 (Z1) に変更することとしたため、市販できるのは 1972年以降となることが明らかとなった。このため、その間の対抗馬として少なくとも加速性と最高速度で CB を圧倒できる(すなわち世界最速)ものとして、H1 エンジンのボアストロークを拡大して 750 cc としたのがマッハ IV (H2) である。


500SS MACHⅢ H1 (1969)
高校時代友人が乗ってたバイク
別名(じゃじゃ馬)とも呼んでた
1.2.3速の鋭い加速と白煙の凄さ
正に乗り手を選ぶバイク
このバイク特有の3気筒3本マフラー

空冷2サイクル3気筒
  総排気量
 498cc
  最高出力 60ps 7,500rpm
  最大トルク5.85kg-m 7,000rpm
  0→400加速12秒台
 最高速度 約200km/h

風とともに
ナナハン時代を飾ったバイク達
チョット寄り道
RZのペットネームが初めて使われたのは、1972年に試作されたRZ201である。

ヤマハSR400/500 (1978~) 81年実弟所有

30年のロングセラーとなったSR。今はSR400が現存する

オートバイ雑誌「モトライダー」が、1977年のエイプリール企画として、実在しない車を「近日発売の新車 ヤマハ・ロードボンバー (Road Bomber) 」として掲載したことが発端となっている。このロードボンバーは、ヤマハのバイクXT500のエンジンを使い、島英彦設計によるオリジナルのダブルクレードルフレームに搭載したロードスポーツバイクであった。紙面の写真で見るとなかなか完成度の高いオートバイであったため、まさかエイプリルフール企画の架空の新車とは思わず読者からの注文が殺到した。そこにマーケットがあることが判明したことから、XT500のメーカーであるヤマハが本気になって設計し生産を始めたという、冗談のような経緯でSRシリーズは誕生した。当時その様な経緯で作られたため、最初のSRは中途半端にモトクロスのようなアップハンドル、エンジンガードなどモトクロス風な出で立ちであった。




ヤマハTX500(1973)
TXシリーズの500ccクラス
当時異色なエンジン搭載4ストマッハの異名を持つTX500
■ 空冷4サイクル4バルブDOHC2気筒
■ 総排気量 498cc
■ 再高出力 48ps/8500rpm
■ 最大トルク 4.5kgm/6500rpm
■ 変速機 5速
■ 重量 182kg
■ 最高速度 180km/h以上
   後にGX500となる


ヤマハXS650  XS-1 (1970) ニックネーム  ペケエス
●乾燥重量:185kg
●最高速度:185km/h以上
●0-400m加速 13.0sec
●SOHC:直立2気筒、並列
●総排気量:653cc
●最大出力:53ps/7,000rpm
●最大トルク:5.5m-kg/6,000rpm
1973年、TX750のデビューを受けXSからTXに名称変更された650ccモデル。同時にエンジンも360度から180度クランクへと移行した
 
'70年代のナナハン時代夜明け前。当時、世界で最も優れたバイクという評価を得ていたのは、現在でも人気が高い英国製マシン達だった。そのトップモデル達は500cc前後の排気量を持つシングル、あるいはツインモデルで、OHVがほとんどである。しかし、ホンダが放ったCB750Fourは世界中のライダーを驚嘆させると同時に、その後の国産マシンの行く末をも決定づける事になった。ホンダのOHC4気筒に始まり、スズキの水冷トリプルを、カワサキも同じく2サイクル空冷トリプルをリリースする。さらにカワサキは決定打となるDOHC4気筒を打ち出すなど、その勢いと多彩さは今にしても驚異的であった。

ヤマハが創業以来初めてとなる二輪車の4サイクルモデル、XS-1を発表したのは、1969年に開催された「第16回東京モーターショー」でのことだった。この年のモーターショーは、東名高速の開通を反映した各種スポーツ車の出展が大いに会場を賑わせた。四輪車は実用車からスポーツ車へ、四輪車より一足早くスポーツ車にシフトしていた二輪車は大型化へと向かう。各メーカーの展示ブースには、その流れが端的に表れていた。XS-1が発売されるまでヤマハの最大排気量車は、2サイクル350ccエンジンを搭載したR1~R3だった。高速道路時代の幕開けを象徴するように、すでに一部ファンの間でビッグバイクの市場は構築されつつあった。当時、これらのモデルは「スーパーバイク」または「スーパースポーツ」と呼ばれ、二輪専門誌では毎号のように馬力や最高速といった性能評価が誌面を賑わせた。
 しかし、XS-1の企画は、開発当初からこれら「スーパーバイク」とは一線を画すものだった。開発のポイントとして挙げられた「フレキシブルな高性能車」「350cc並みの軽快なフィーリング」「価格的にも身近なもの」という要素に加え、参考として英国車トライアンフ・ボンネビル650を研究した事実をとっても、目指すところの違いは明らかだった。ヤマハは決して多気筒化の流れに乗じようとはしなかった。しかし、ナナハンという言葉がブームとなるほどの急激な時代の流れの中では、ツインモデルはごく少数派に受け入れられる事は有っても説得力を欠いたのである。

後に1976年GX750(最初のDOHCマルチ3気筒)を世に送り出す前、当時には珍しい企画的4サイクルエンジン等を開発し量産した経緯がある




スズキRE5(1974) 逆輸入車両
  • エンジン形式: 水油冷シングルロータリー
  • 排気量: 単室容積497cc
  • 点火方式: CDI
  • 最高出力: 62ps/6,500rpm
  • 最大トルク: 7.6kg-m/3,500rpm

スズキ・ハスラーTS250(1974)
友人所有バイク

この頃はオフロードバイクといえばスズキの独壇場でした。その牙城が崩れていくのは、70年代後半のホンダXL250Sの登場による、4st時代の到来からです。
 このバイクには70年代の2stらしい、低中速にパンチのあるエンジンを搭載しています。ハスラーが最もハスラーらしかった頃のバイクです。
このバイクも乗車する機会が非常に多かった
このバイクが機会でオフロードに興味が・・・・


スズキGT380(1972)

最高出力38馬力
最大トルク3.8kgm
高校時代の友人所有
スズキGTシリーズの380cc
GTシリーズは先に紹介した750を頂点として550・380・250・185・125と6車種で有ったGTシリーズの750以外はシリンダーヘッドの上にラムエアーシステムを装備し2ストローク3気筒特有2番シリンダー冷却の問題を解決してる
GT750→2st3気筒水冷
GT550/380→2st3気筒ラムエアー空冷
GT250/185/125→2st2気筒ラムエアー空冷

このバイクを所有する友人と最も多く一緒にツーリングに行ったので、乗車する機会が非常に多かった
此処でGT380とCB500を乗り比べた感想を・・・・
勿論排気量の関係で馬力トルクが上の為乗車感はCB500が優位だった
燃費に関してもCB500が軍配が上がり加速も大差無く結果的にCB500が早い
しかし2ストロークにしては低速から高速までトルクが太かったと認識をしてる

2サイクルスペシャリストメーカーと言っても過言では無かった。'70年にアメリカで「マスキー法」が成立、後に石油ショック。排気ガス規制と燃費の両面で2サイクルエンジンは窮地に立たされるのであったが、GS400、750の開発で4サイクルエンジンの技術を確固たるものにし、市場でも成功を見た。そうした中でも各オートバイメーカーがプロトタイプで終わってしまうロータリーエンジン搭載バイクを1974年に(RE5)開発し世に送出してる

カワサキKZ1300(1979) 北米名KZ1300 逆輸入車両
同時期に発表されたホンダCBX1000と同じく直列6気筒エンジン搭載車であるが、CBXが空冷DOHC4バルブ1047ccであったのに対しKZ1300は水冷DOHC2バルブ1286ccであり、国産メーカーの車両では当時最大の排気量を誇っていた。
  • 総排気量:1286 cc
  • ボア×ストローク:62×71 mm
  • 圧縮比:9.9
  • 最高出力:120 hp/8,000rpm
  • 最大トルク:11.8 kg-m/6,500rpm
  • 重量:297kg

カワサキ750RS(1973)
友人が乗ってた当時の通称RS
1969年9月にホンダが発売した「CB750」に対抗するため、1973年2月に、「Z1」の国内仕様として「カワサ 750RS(Z2)」を発表。「Z2」は「Z1」を上回る高バランスを実現するとともに、宿敵ホンダの「CB750Four」から国内最速の称号を奪還。数々の伝説とともに、現在でも多くのユーザーを魅了してる。
エンジン形式 空冷4ストDOHC2バルブ
並列4気筒
総排気量 746cc
最高出力 69PS/9,000rpm
最大トルク 5.9kg-m/7,500rpm
車重 230kg





シャリイホンダCF50 (1975) CF70所有75年~
免許を取ってまず最初に乗ったのがCF70通学バイク(緑色)
他の友人はダックス70や通称ミニトレ(GT80)当時は70ccクラスが多かった
東京へ就職した時も連れて行き長い付き合いの相棒



HONDA DREAM CB500 Four (1971) 所有76年~



上段CB500
下段CB550
RX350が廃車になり2台目の大型バイクCB500F
新聞配達のバイト代で分割払いにしてもらい
当時8万円で念願の4気筒4本マフラー!
思い出の多いバイクです 後にCB500からCB550に下の黒がCB550
コンパクトな4気筒です。750の前傾シリンダでなく垂直シリンダとされ、一気筒あたり125ccとエンジンバランスもよく、乗りやすい4気筒
この4気筒シリーズにはCB350Fなども有り後にCB400Fが販売される

CB500
排気量  498cc
最大出力 48PS/9000rpm
最大トルク 4.1kg-m/7500rpm

CB550
排気量   544cc
最大出力  50PS/8,500rpm
最大トルク 4.4kg-m/ 7,500rpm


HONDA DREAM CB750 FOUR K2(1972)
ナナハンの代名詞
高校時代憧れのバイクで友人達はこのK2、K1が最も多かった

当時はツーリングなど行くと必ずと言って良い程ピースサインを出し合った・・・このバイクに乗ってピースサインしたかったな。。。。。
(当時の漫画にナナハンライダーが有ったが主人公の乗ってたバイクK2?漫画もノーヘルで時代を象徴してた)

最高出力は67ps
メーカー発表の最高速度は200km/h

1970年代、750cc(国内)バイクを頂点として各メーカーが個性あるバイクを開発してた
1969年8月(国内販売)ホンダドリームCB750FOUR(4サイクルSOHC4気筒))を皮切りに各メーカーの750cc開発生産が始まりナナハン時代の幕開けとなる。

カワサキ 69年500SSマッハⅢ(2サイクル3気筒)後に73年750RS(4サイクルDOHC4気筒 通称ZⅡ)

スズキ 68年のT500の後続機種?で71年GT750(2サイクル3気筒水冷)

ヤマハ 72年にTX750(4サイクルSOHC2気筒)当時としては2気筒でかなり地味だった高校時代の我々は楽器屋のバイクだ~と言ってた。しかしヤマハはあの有名な初代トヨタ2000GTをトヨタと共同開発しエンジンを作りヤマハの磐田工場で337台が生産された。

70年代前半の二輪免許制度は小型自動二輪(原付~125cc)と大型自動二輪(制限無し)の2種類しかなく我々の年代までは350ccの教習で簡単に大型自動二輪を取得でき、一般公道に於いてはまだ、ヘルメット着用の義務違反も無かった。
ナナハン時代の到来と共に、二輪車事故や暴走族問題等も露呈し、後に自動二中型限定が設けられた。一方、石油ショック環境問題等で次第に2サイクルは姿を消し1970年代中盤には国内4メーカーの空冷4サイクルナナハンが出揃った(ホンダCB750FOUR、ヤマハGX750、スズキGS750、カワサキZ750)。折からのオートバイブームを受けナナハンは年々高性能化し、1980年中盤には各社技術の粋をこらした高性能ナナハンが鎬を削った。
限定解除時代から既に中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移っており、またナナハンの絶頂期である1980年代中ばからは排気量の制限を受けない逆輸入車に押され、更に750cc「自主規制」がなくなった1990年代以降はリッターマシン(排気量1000cc程度以上の大型車)に押され、国内では影の薄いクラスになっている。

 1970年代、アメリカEPA(環境保護庁)が発表した環境規制は、日本の二輪車メーカー各社に大きな影響を与えることになった。それまでの日本製モーターサイクルの多くはアメリカ市場を主眼に開発されたものであり、対米輸出を視野に入れないスポーツモデルなど数えるほどしか存在しなかった。そうした環境にあって、実質的に2サイクルスポーツを市場から締め出すEPAの規制は、日本メーカーを一気に4サイクル大排気量車の開発へと向かわせた。
 ヤマハも4サイクル車を専門とする第4技術部を立ち上げて開発スピードを加速させる一方、2サイクル専門の第3技術部では従来のRD400を排ガス規制に適合させるチャレンジを続けていた。試行錯誤の末、エキパイの出口にバタフライバルブを取り付けてレギュレーションをクリアした改良モデルを'79年にリリースしたが、開発スタッフの中には対策によるエンジンパフォーマンスの低下にわだかまりを抱く者も少なくなかった。
 同じ頃、本社には「ヨーロッパにはピュアな2サイクルスポーツを望むライダーが存在する」という声が届いていた。そうしたニーズが第3技術部に籍を置く技術者たちの背中を押し、「ヤマハ2サイクル開発の集大成モデルを作りたい」という渇望に火をつけた。技術者たちの間から生まれた「最後の2サイクルスポーツを作り、そこに我々の技術のすべてを盛り込みたい」という気概が会社の意思を動かすまで、そう多くの時間はかからなかった。
 「2サイクルエンジンの良さ、それを余すところなく表現したい」――。営業や商品企画の部門から企画書が回ってきたわけではなく、技術部門の情熱から商品が企画されたRZ250/350の生い立ちは極めて異例で、かつ「正真正銘、これが最後の2サイクルスポーツ」という強い割り切りと決意があった。その思い切った判断の根底には、創業以来、2サイクルモデルでスポーツの道を切り拓いてきたヤマハの自負が流れていた。
国内で'80年8月に発売されたRZ250、そして'81年3月発売のRZ350は、紛れもなく「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」として企画され、開発し、発売された。しかし、RZの衝撃的なデビューは「2サイクルの市場はまだ存在する」ということを証明し、他社がその後を追うことで、結果的に「ヤマハ最後の2サイクルスポーツ」とはならなかった。 RZは途絶えかけたピュア2サイクルスポーツの息をつなぎ、後に空前のレーサーレプリカブームを生み出していく。そして、同時に大型化へと向く国内のモーターサイクルファンの志向に対してあらためて軽二輪クラスの市場適合性を示し、'80年代の元気な二輪市場を築く、その礎となった
国産量産車としては、初の1気筒あたり4バルブを持つDOHCエンジン。当時それは、まさに画期的なメカニズムであったのだ。にもかかわらず、熱病のような勢いで浸透していた多気筒化、大排気量崇拝とも言うべきブームは、そこに正当な価値を見出そうとはしなかった、いや、見るべき視野と判断力さえ失っていたのだった。中でも500は当時でさえも見かけることはまれだった。かくしてTXシリーズは、その勇姿を静かに'70年代の波間に静めていったのだ
1973年夏、秋のモーターショーの発表を前に量産試作車が完成し、谷田部のテストコースで走行テストが行われた。高速走行時でも、バックミラーが少しもぶれない程の振動の少なさや操安性のよさに、開発スタッフは改めて驚かされた。それに、走地燃費は水冷2サイクルの750車よりも20パーセントいい数値(しかしどうしても4サイクルに劣る)を出した。同年秋のモーターショーは、シングルローター式バンケルRE搭載、ジユジアーロ・デザインの”スズキRE5″(497cc、最大出力62psの話題でもちきりとなった。
その後、海外を含め延べ50万キロに及ぶ実走行テスト(15、16台走った)を終えて、1975年1月、スズキは「RE5」の量産態勢に入った。しかし、排気量(当時の日本国内市販車の排気量の自主規制値であるを超えてしまう)の問題が解決されず、ついに国内販売を断念、輸出のみにしぼらざるを得なかった。
RE5の海外での評価はすこぶる高かったが、1973年10月、第4次中東戦争が勃発。中東産油国が石油戦略を発動し、世界的に”石油ショック”が起り、翌1974年3月、日本国内は石油製品の大幅値上げから、省エネが叫ばれ、1975年9月にも、再び産油国は原油価格の大幅値上げを通告、世界を揺さぶった。
1977年スズキは、発売2年目にして「RE5」の生産中止を決定。
RE5は生産中止されたものの、この開発で得た技術はその後のスズキ車に数多く利用された

スズキ編


ヤマハXS750スペシャル(1978) 所有79年~
●DOHC:並列3気筒、前傾 :747cc
●最高出力:66ps/8000rpm
●最大トルク:6.3kg-m/6,500rpm

ヤマハGX750(1976)
4気筒時代へのヤマハの挑戦

●DOHC:並列3気筒、前傾 :747cc
●最高出力:60ps/7,500rpm
●最大トルク:6.0kg-m/6,500rpm

スズキT500(1968)
浅間レース以来、一貫して2サイクルエンジンを開発してきたスズキは、T500により2サイクルビッグマシンの確固たる地位を築く事になる

空冷2サイクル並列2気筒 492cc
47ps/6,500rpm
5.5kg/6,000rpm


イーハトーブ TL125(1981)所有82~
山に行きたいそんな気持ちから衝動買い
近所の後輩に譲って今も健在で走ってます
81年型のTL125で、名前がバイアルスからイーハトーブに変更されました。このバイクはT口宴会部長の愛車で、エンジンは当時のコンペマシンのTL200RIIのものが使用されているとのことです。本来のパワーは8.5ps/8000rpm、0.86kgm/4000rpmですが、このエンジンでは12.1ps/6000rpm、1.59kgm/4000rpmになり、全く別物のバイクになっています。Fフォークはエア併用式、Rショックはガス封入倒立式のものが奢られています。当時250クラスにはシルクロードが発売されていましたが、このバイクも完全なトライアルコンペモデルではなく、どちらかと言うとトレッキングバイク色が強くなっています



ホンダドリームツインシリーズ
CB250T
(1973)
このシリーズには他にCB360Tなどがあり6速ミッションだった
CB360Tは教習車に使われた

CB250T
総排気量  249cc
最高出力(PS/rpm) 27/10,000
最大トルク (kgm/rpm)  2.0/9,000  

最高速度 (Km/h)    150 

CB360T
総排気量  356cc
最高出力(PS/rpm) 31/9,000
最大トルク (kgm/rpm)   2.6/8,000 

最高速度 (Km/h)    160 


ニユー ホンダドリーム CB450エクスポート(1970)
当時でも珍しい機種でした同じ新聞配達の先輩が乗ってました
地味なバイクですが味のある低速からの加速感が・・意外と早かった(ホンダのDOHC)
●総排気量444cc●車両重量178kg(乾)●定員2名●最低地上高0.155m
●最高出力43ps/8,000rpm●最大トルク4.0kgm/7,000rpm●圧縮比9.0 ●最高時速170km●登坂能力20度●0-400m加速13.5秒(155km/h)

16歳(1975)になり自動二輪免許取得 そんな若い頃、なんとも言えぬバイクに対する夢やロマンが有りました。
1970~1980を中心に印象に残ったり乗ったバイクを紹介します

ヤマハTX750(1972)
他社より遅れ1972年ヤマハのナナハン登場

■ 空冷4サイクル2バルブSOHC2気筒
■ 総排気量 743cc
■ 再高出力 63ps/6500rpm
■ 最大トルク 7.0kgm/6000rpm
■ 変速機 5速
■ 重量 210kg




スズキGS400(1976)
排気量を2気筒=400cc・4気筒=750ccとし、シリンダー径を60φで統一することで生産ラインの効率化も図ることに置いた。 さらに、高い信頼性を求め、2サイクル時の実走耐久テスト1万kmを2万kmに、また、連続高速テストも繰り返され、徹底した品質の向上が行われた。こうして生まれたスズキ初の本格DOHCエンジンは、絶大な信頼性を得、瞬く間に人気を博し、スズキの4サイクル技術を世に知らしめた。

スズキGS750(1976)
スズキ初の空冷DOHC4気筒・2気筒

空冷4サイクルDOHC2バルブ並列4気筒 748cc
68ps/8,500rpm
6.0kgm/7,000rpm

空冷4サイクルDOHC2バルブ並列2気筒 398cc
36ps/9,000rpm
3.3kgm/7,500rpm


ホンダHAWK(ホーク)-II(CB 400T)(1977)

ドリームCB400FOURの後継として発売されたCB400FOURが直列4気筒であったのに対し、ホークIIが直列2気筒であるのは、ミドルクラスなら4気筒より2気筒のほうが速いとの理論に基づいて開発されたことにある。実際に電気進角式CDIを採用した超ショート・ストローク(70.5×50.6)の直列2気筒SOHC3バルブエンジンはドリームCB400FOURの37/36馬力に対して約1割増の40馬力を誇った。
最高出力(ps/rpm) 40/9500
最大トルク(kg-m/rpm) 3.2/8000


CBX1000(逆輸入車両) 所有80年~

排気量 1047cc
出力  105ps/9000rpm
トルク 8.6kgm/8000rpm
重量 247kg  
1979年より輸出が始まったモデルです
6気筒!

上京して間もなくヤマハXS750を購入し乗ってましたが・・・XS750購入後間もなくCBX逆車がオートバイ屋に有るではありませんか・・・・!!
無理をしてXS750を下取りにし赤いCBXを購入
アメリカ仕様でハンドルが高めのCBX。
ヨーロッパ仕様のハンドルがありそのまま取付けられるとの事で変えて乗る
しかし、このバイク、スピードメーターが80マイル刻みしか無い・・・何で?
アメリカ仕様は出力は少し控えめで98ps位?
対しヨーロッパ仕様は105ps。まあそんな気にするような事じゃありません 高速道路ではメータ振り切るような事も???
悔しい思い出は駐車して少し目を離したらサイドカバーが盗まれてる(あのCBXの名入りの所は直ぐに外れてしまう)
思い出深い初のリッターバイク!



ホンダウィングGL500(1977)
縦置V型エンジン シャフトドライブ
翌年79年にGL400販売
81年GLをベースにCX500ターボ
82年CX650ターボが輸出される

GL500
総排気量 496cc
出力    48ps/9000rpm
トルク   4.1kg-m/7000rpm 

ホンダエルシノア MT250(1973)
4ストロークのホンダが世に初めて送出したの2ストロークマシン
2サイクルピストンリードバルブ248cc単気筒

最高出力:23.0ps/6500rpm

最大トルク:2.6kgm/5500rpm

1969年 HONDA DREAM CB750 FOUR (K0)空冷4気筒SOHCから始まりナナハン時代を牽引した。K0から1979年のK7まで約10年にわたり進化して行く 
後に1979年 CB750F 空冷4気筒DOHC16バルブと移行して行き4サイクルエンジンのパイオニアとして各種の形状を持ったエンジンの開発をする

ヤマハとして初めて取り組む4サイクルエンジンがバーチカルツインという選択になったのも、このトライアンフ・ボンネビル650の存在が色濃く影響している。「アメリカのハイウェイではトライアンフの走りが一番安定していて評判もいい」という調査結果に加え、国内でもファンの間でトライアンフはステイタス性の高いブランドだった。その企画の意図をひと言にまとめるとするなら、「軽快な走りとスリムでライトな車体、そして音が良くてスタイルもいい。それでいてトライアンフの価格より安い」(当時の開発者)ということになる。
 二輪車用4サイクルエンジンの開発については、まさに初めての挑戦だった。しかし、ヤマハに4サイクルエンジンのノウハウがまったくなかったかと言えばそうではない。トヨタとともに、トヨタ2000GTのDOHCエンジンを共同開発した経験を持っていたからだ。実際、XS-1開発当時の磐田工場ではトヨタ2000GTの生産が行われており、エンジン開発チームはトヨタ2000GTの開発を担当したスタッフのもとに通っては、アドバイスも受けた。しかし、直接的な関連性といえば初期のXS-1用試作エンジンにトヨタ2000GTのエンジン基本諸元やピストンが流用されたが、四輪と二輪のエンジンはかなりかけ離れたものだった。
 試行錯誤の末に完成した試作エンジンの第一号機は、目標の53馬力に遠く及ばず、実計測ではわずか14~15馬力程度の出力だったという。そこからは、手作りによる試行錯誤の性能アップが始まった。しかし、その程度の試練は苦労の始まりでしかなかった。エンジンの性能の向上に頭を悩ませながらも、同時に熱、耐久性、動弁系、オイル漏れ、エキパイ焼け、振動など問題が次々に発生し、一つの問題に対策を施せば、その影響で違うところに新たな問題が発生するその繰り返し。これらの対応に追われるエンジン設計チームは、深夜まで図面に線を描き続け、その対策部品を徹夜で作ってもらうために一升瓶を抱えては生産試作へ走ることもあった。
 一方、車体設計のチームの悩みは、大きく分けて二点だった。バーチカルツインエンジンの宿命である振動の問題については、主にラバーマウントを多用することで対応、もう一つの課題である取り回しの軽快さと車体のフレの相反する問題解決は車体設計のメンバーと走行実験チームが二人三脚になってテストと対策を繰り返し対応していった。

ヤマハ編

ホンダCB750F(1979)
エンジン形式がK時代SOHCからDOHCに変更され4気筒で16バルブといった緻密な機構のエンジンとなりエンジン高性能時代へと
更に新たな4サイクルエンジン開発競争に
この時期既に中免で乗れる400ccモデルに国内販売の主力が移っており中型の全盛期となりナナハン時代は終盤となる
最高出力(ps/rpm) 68/9000
最大トルク(kg-m/rpm) 5.9/8000

ヤマハRZ201(1972)東京モーターショーに出品。
ヤマハとヤンマーディーゼルとの共同開発

水冷横置き2ローター。
総排気量は330cc×2
65ps/6500rpm
7.8kg-m/4000rpm
吸気系はサイド/ペリフェラルのコンビネーションポート(排気はペリフェラルポート)。

冷却/燃費の改善等の課題を残したまま、オイルショックにより商品化を断念。

ヤマハRZ250(4L3) (1980) 81~年実弟所有
2サイクルバイクが少なくなった時期再び2サイクルブームを巻起こす立役者RZ250
当時まだ国内は250ccだったがこの頃、350ccのピストンとシリンダーが手に入った為、交換してた(後に販売になる350ccとクランク関係は同じ物だった)
●水冷2サイクルピストンリードバルブ:2気筒
●総排気量:247cc
●最高出力:35ps/8,500rpm
●最大トルク:3.0kg.m/8,000rpm

大型モーターサイクルには4サイクル化の流れが押し寄せた。ヤマハも「2サイクル&4サイクル」の打ち出しの元、'70年XS-1に続いて'72年TX750、'73年TX500を投入したが、4サイクル技術で先行するホンダCB750やカワサキ750RS(ZII)との差を埋めきれず、市場の評価は国内・海外ともに厳しさを増すばかり。GX750の開発は、そうした危機的な状況を打開するプロジェクトとして、'73年夏からスタートした。
ヤマハらしさのこだわりが生んだ3気筒
最初から750cc・3気筒に決まっていたわけではない。すでに海外でホンダGL1000、カワサキ900Super4(Z1)などが人気を博していることを考えると、少なくとも国内最大排気量の750ccは必須条件だった。さらに、レイアウトをどうすべきか。 まずTX650ベースの900cc・2気筒を叩き台としながら検討が重ねられ、排気量は750ccと決まった。しかし問題はそこからだった。本社エンジン開発スタッフは、他社モデルと真っ向勝負の4気筒。アメリカの商品企画担当者は、他社にない3気筒エンジンによる差別化を主張して譲らない。さんざん議論を尽くした末に、担当役員の判断も加えられ3気筒とすることで決着した。
 4気筒に比べて横幅が狭くコンパクトな3気筒エンジンは、車体のバンク角を十分に確保しながらエンジンの搭載位置を低くして低重心化することができ、操縦性の面でもデザイン面でも有利に働く。そうした「軽量・スリム・コンパクト」に対するこだわりと、4気筒に負けない高性能・高品質な3気筒を創るというチャレンジスピリット。それが「他社とは違うヤマハらしさ」につながるという判断だった。
翌年には、3into2マフラーの採用、燃焼室形状やバルブタイミング、キャブレター変更などで最高出力を67PSにアップした。この時マフラーを変更した理由はもうひとつある。3気筒分を1本にまとめる太いマフラーでは右コーナーでの深いバンク角に影響を与え、また重量バランスのわずかな偏りが左右のハンドリングの違いに微妙に影響を与えたからだ。3気筒ツアラーとは言いながら、ハイパフォーマンスを売り物にして得意げな4気筒750ccモデルに負けまいとする、対抗心の表われであった。
 そして'78年以降、GX750の3気筒エンジンとシャフトドライブはますます熟成が進み、アメリカン的なデザインを取り入れて海外モデルの名称“XS”を冠したXS750スペシャル、排気量を拡大した海外向けモデルXS850、XS850ミッドナイトスペシャルなどさまざまなバリエーションモデルを生み出していく。
 だがやがて、'81年に新しい時代を担う4気筒モデルXJ750Eがデビューすると、3気筒・GX750ファミリーはそのまま主役の座を譲り、5年間の活躍に幕を降ろす。その後現在に至る まで、ヤマハモーターサイクルのラインナップに4サイクル3気筒モデルが登場することはなかったが、国内外累計およそ15万1000台という販売台数は、ヤマハ4サイクルの存在を確固たるものとする、十分な働きを果たした証しと言える。




カワサキ・Z400FX(1979)

1979年欧州で発表されたZ500は、斬新な直線基調のデザインを持ち高い評価を得た。このことから、日本の免許制度に合わせてボア・ストロークを変更し中型バイクとして発売された。中型免許で乗ることができる4気筒のオートバイは、1977年に生産が中止されたホンダのCB400以来となることもあり、大人気を博した。採算が合わずに生産中止となったCB400Fと比べ、徹底して輸出仕様の500と部品を共用することで、400cc4気筒を可能とした。
空冷4サイクルDOHC4気筒399cc
出力 43ps/9500rpm
トルク 3.5kg/7500


カワサキ650RS(W3) (1974)


空冷4サイクルOHV2気筒
排気量 624cc
出力 53ps/7000rpm
トルク 5.7kg/5500rpm

高校の友人が乗ってた650RS
味わい深いバイク!!
W1SAのダブルディスク仕様のことであり、ZIIの弟分として650RSと呼ばれ、これが通称W3なのである。
W1を語るには多くの歴史があり語りつくせない程だ
まずは、目黒製作所時代のK1に戻らなければならない。
バーチカルツインのこのスタイルは、イギリスのBSA、A7をモデルに、メグロが1960年に発表、496ccだった。
メグロは1960年にカワサキと業務提携。1963年には合併となったメーカである。その後、東京オリンピックに白バイとして採用されるために改良型としてK2を発表。のちに、北米輸出のためさらなる大排気量化への改良されたマシンが1965年に登場したW1である。


ナナハン時代に個性ある数多くの名車を残し(W1)と(マッハ)別物の性格を持つ名車を世に送出し(ZⅡ)等は今でも絶大な人気である。戦前のバイクメーカー(メグロ)を吸収合併し一番長い歴史を持つバイクメーカと言える

カワサキ編

ホンダ編